れもんぴちあ

ぼっち飯の楽しさに気付いてしまったらもう戻れないよね

母の話をしようと思う。

 

先月の初め、所属する部活の地区大会で負けた。応援に来てくれた両親の前で完敗した。今思い出しても吐き気がする位、不甲斐ない戦いぶりだったように思う。

 

母は何も言わなかった。ただ私の姿を恨めしそうに見つめていた、事だけは覚えている。

 

それから数日、つまらない事で口喧嘩になり母が放った言葉が、未だに記憶の裏側にこびりついて離れないのだ。

 

「負けた癖に。何も出来ない癖に」

 

今回の喧嘩の内容と、大会の事は全く関係ない。予想の地平を超えて、その一言は私の心に深く刺さった。

大会に負けた不甲斐ない私を、母は許してくれていなかったのだ。ずっとずっと私の事を「負け組」だと見下していたのだ。

 

それが私には、辛かった。

私がこれから幾ら勝利を収めて名誉を挽回したとしても、今回の負けは一生母の中で私の不名誉として残るのだろうか。

怖い。未来が怖い。誰も私の過ちを忘れてくれない、許してくれない。

 

母はほんとうにいい人だ。真面目で優しくて、手際が良くて仕事もできる。

でも、時々人生に疲れたような表情で空虚を見つめている。

 

そんな母を、私は誰よりも可哀想だと思う。

 

 

 

 

春、あなたは。

満開の桜も昨日からの強風で無惨に散った四月の半ば、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

新生活はどうですか、期待通りのキラキラ新生活を送れている人も居れば、毎日が辛くて辛くて今にも駅のホームに身を投げそうな精神状態の人も居るでしょう。

 

そんな私は、進級と同時に行われたクラス替えで見事ラッキーカードを引き当て、一緒にご飯を食べるお友達が出来ましたー。ほら皆拍手ーーー。

一年間続いたぼっち飯タイムともお別れです。一人大好きマンの私としては、優雅に座ってお母様が朝早くから作ってくれたお弁当の美味しさに感動し脳内グルメレポをしていたあの時間はもう無いのだと思うと、少しさみしい気もするけれど、、、

 

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ちょうど一年前、高校に入学したばかりの自分へ。

 

新生活はどうですか。

 

新しい生活を迎えて、期待に満ち溢れていますか。それとも、勉強も友達も思い通りにいかない不安を胸いっぱいに感じていますか。

 

どちらでも良い、

貴方はきっと、この先の長い人生で心の底から嫌いな人間や、どうしようもなく嫌いな自分に正面から向き合うことになるでしょう。

 

でも、きっとそれ以上に、

どうしようもなく心の底から「大好き」な人達に出逢うことができるから。

 

恐れないで、大好きな人に大好きと言ってもらえる自分になって下さい。

 

 

「春、あなたは変わる。心から。」

 

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女子高生のカワイイ論

「美味しいって、かわいい。」

 

ふと、隣で一緒にコンビニスイーツを眺めていた友達が呟いた。脳内に???を浮かべながら店を出ると、途端に疑問に思えてきた。

 

果たして、女子高生的には「美味しい」と「かわいい」はイコールなのか。

じゃあ極端な事を言えば、茶色の揚げ物で埋め尽くされた弁当もかわいいのか。逆に食用色素によってカラフルに着色されたクッキー、あれが美味しいかと言ったら疑問である。ていうかカラフルな食べ物は基本美味しくない。

女子高生の「カワイイ」における定義は、何とも不思議なものである。

 

コンビニに並んでいるスイーツを見ると、やはり苺や抹茶を使った可愛らしいものが多いように感じる。

「インスタ映え」という言葉があるように、最近のイマドキ女子高生は日々のご飯も綺麗で可愛くお洒落なものを好むらしい。

何故かって?

そりゃインスタに投稿する為に決まってるじゃないか。

お洒落なお店のスイーツを投稿することによって「私、お洒落な人間なんです」というアピールができるという訳だ。更にその投稿を見た女共に競走意識が芽生え、「よりお洒落なインスタ」を目指し、我先にと新しいお洒落な店に行き出すのだ。こうなったらもう地獄である。

 

他人のリア充投稿に「いいね♡」を押す女子の姿を想像して女という人種の醜さに若干気持ち悪くなっている所である、、

 

 

やっぱり女子高生って怖い................。

 

 

 

幸せは 歩いて来ない

私生活が忙しくて放置していたこのブログ、なんと一ヶ月ぶりの更新でございます。

しかも久しぶりに開いたらアクセスが20件超えてた。こんなくだらない感情の掃き溜めみたいなブログを20人もの人が見たのか.....恥ずかしい。

 

この空白の一ヶ月間、

単位を取るために必死で勉強したり、図書館で大量に本を借りて徹夜で読んだり、美味しいものを食べたり友達と遊んだりしながら過ごしておりました。

 

なんてことない普通の日々。

 

...幸せだ。

 

 

まず私がブログを始めたのは、

「日々の生活のなかにある抑えきれない感情を文字にする事で整理して、これからの人生の糧とする」

って理由が少なからずあって。まぁ俗に言えば只の愚痴なんだけど、それでも形にする事で救われるような気がしていた。

 

でも、この一ヶ月ブログを書かなかったのは、嫌いだった自分や周りの存在を、少しづつだけど肯定できるようになったからなんじゃないかなぁ、って最近は思っている。

それはきっと、私を肯定してくれる周りの人達のお陰であって、私自身が努力して掴み取った幸せじゃないのかもしれないけど。

 

私だって、所謂「リア充」の類に存在していいくらいには充実した毎日を送っていると自覚しているのですが、本質はただの根暗オタクなので合わない人と長時間話してるとすごい気持ち悪くなる。拒否反応出ちゃう。リア充アレルギーなんです私。

 

そんなリア充アレルギーの私でも、

幸せになれるんだなぁ、なんて。

 

「幸せは 歩いて来ない

だから 歩いていくんだよ」

 

「一日、一歩   三日で三歩

三歩歩いて二歩下がる」

 

 

そんな感じで

今日も今日とて、歩いていこう。

 

 

 

 

 

コトノハ、言葉

コトバの意味が分からなくて、でも無性に気になって、わかるまで必死になって調べてしまうのが癖になっている自分が居る。

 

今日も、

「彼女にとっては○○でしかないのに」

というフレーズが妙にハマってしまって、でも空欄のコトバがどうにも浮かばなくて、考えに考えた挙句眠れなくなってしまった。

就寝する為に布団にくるまった以上、今から辞書を広げる訳にもいかないので、ネット検索で思い付く限りの類義語を調べまくってやっと元の語に辿り着いた。

「キヤスメ、、気休め、、、これだー!!」

名探偵にありがちな「謎解きのピース」ってこんな感じで見つかるものなのだろうか。

もしそうだったら、こんなに気持ちイイ体験を毎回しているのか彼らは。羨ましいぞ。

いやぁこれが気持ちイイ。ほんとうに。自分の知らなかった事を知るのってやっぱり良いもんだぞ!そこの若者!!

 

いや、私も若者だけどさ。

 

まぁ、こんな至極どうでもいいような事も、私の海より深く沼より狭いご立派な知識欲のなせる技であり、私が生きる理由のひとつなのでしょう。

 

なんて事を思いながら、久しく更新していなかったこのブログの大事なネタを忘れてしまわないうちに

こうして深夜に書き連ねているのである。

 

 

はぁ、寝るかー。

居場所

「居場所」って、何処にあるんだと思いますか?

 

よく「居場所がない」なんて言葉を聞くけど、居場所なんて最初から存在していないんじゃないだろうか。

 

だって、私の環境は常に変わっている。いまここにいる私は、去年の私や昨日の私とは全く別のものだからだ。

だから、私に居場所なんてない。

 

敢えて言い換えるならそう、「遊牧民」みたいな..。色んな環境に対応して、その都度自分を変えていくのだ。

ふらふらと渡り歩く人生の中での出会いが、素晴らしいものであればいいと願うばかりである。

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先日、隣のクラスの担任に呼び出されて話をする機会があった。(真剣に話す若ハゲ男を前にして笑いが堪えられなかったのは秘密)

 

若ハゲ先生の話を簡潔にまとめると、

「私と仲の良い女の子が移動教室などでひとりで居ることが多く、孤立している。自分のクラスに馴染めていないんじゃないかと心配だ。彼女についてなにか気になったことはないか?」

 

という内容だった。

 

話を聞いた時、ああ、この先生はいい先生なんだなぁ、と直感した。

きっと先生は、高校生活の中で友達と一緒に過ごす時間がかけがえのないものだということを、知っているのだろう。

だから、一人でいることを寂しい、つまらないことだと解釈している。

 

でも、私にはそれがとてもショックだった。私の生きてきた16年間を否定されたような気がした。

子供の頃から、「仲間を大切にしなさい」と教えられてきた。勿論、そうやって生きてきた。 それでも、一人の時間が好きだった。友達と楽しくお喋りすることと、一人で図書館に行って本の世界に浸ること、それは私にとって同じくらい大好きな事だった。

 

私に、彼女の本意は解らない。 もしかしたら、私が気付かない所で彼女は助けを求めていたかもしれない。

でも。 物事は口に出さなければ、なかった事と同じなのだ。 なかったことは、どうする事も出来ない。

 

他人に居場所を作って貰うのも、自分だけの居場所を作るのも。どちらも正しい選択だと思う。

でも自分が今ここに居ることは、無数の選択肢から自分自身で選んで来た結果でもあるのだから。

 

居場所なんて、ほんとうは無いんじゃないかって、そう思いながら今日も私は生きていくのだ。

星の源よ、永遠に輝け

人間の生き方考え方は人それぞれ。 だけど、人間の人生観の根本って「他人から影響を受けたもの」じゃないだろうか。 それは両親だったり、親友だったり、有名人だったり。誰でもいいけど、超リスペクトできる人を見つけるのはやっぱり良い事だと思う。 私にとっての超リスペクトパーフェクトヒューマンは、今をときめく大人気俳優、歌手、文筆家の星野源さん。 顔も演技も歌もザ・普通な35のおっさんが、どうして人気があるのか解らないそこの貴方! 星野源の魅力を、私が教えてやろうじゃないですか。 まず彼は、よく笑う。ほんとうにずーっと笑っている。それも屈託の無い笑顔で。 私は人の笑顔が好きだ。 だから、こんな素敵な笑顔を見せられて、星野源を好きにならない筈がないのだ。 でも、今となっては笑顔がトレードマークの彼も、笑えなかった時があった。 学生時代、周りと上手く馴染めず、パニック障害に。自己嫌悪から不安神経症に陥り、精神安定剤を服用していた時期があった。 笑い方を忘れてしまった。 そんな彼が勇気づけられ、笑顔を取り戻し、生きる希望となったのが、「音楽」だ。 音楽の力は凄い。まるで暗闇の中を照らす一筋の光のように、人の人生そのものを変えてしまう事だってあるのだと、彼の生き様を見て気付かされた。 高校時代の同級生を集めて結成したインストバンドSAKEROCKではギターとマリンバを担当し、才能を開花させる。「星野源」としてソロ活動を始めた後も、作詞作曲からアレンジ、楽器演奏まで全て自分で行い、様々なジャンルの曲を創り出してきた。 「とりあえずなんでもやってみる姿勢」で、MVでダンスを踊ってみたり、珍しい楽器を取り入れてみたり。チャレンジ精神旺盛な彼だからこそ創れる音楽が、そこにはある。 尊敬する様々な世代のアーティストの音楽を上手く取り込んだ曲調と、濃密な人生を歩んできたからこその深みのある歌詞、また彼から滲み出る「音楽への情熱とこだわり」が、星野源の生み出す音の魅力なのだと、私は思う。 彼の人気は、偶然なんかじゃない。ましてや、仕組まれたものでもない。 人々は皆、地獄の底から這い上がってきた「星野源」という男の生き様と、彼の生み出した音楽にどうしようもなく惹き付けられ、無意識にも心を掴まれてしまうのだろう。 最後に、最高の笑顔の星野源を一枚。 ありがとう星野源。 君の笑顔が見られるのが、私はとてつもなく嬉しいぞ。 f:id:remonpitia31:20170121022659j:plain